闘病記@   2012/03/23〜2012/04/07

おおげさなタイトルだが本人は最初から至って元気なためまさか入院することになるなんて。
昔で言えば蟄居、今なら軟禁。要するに「うろうろするな」ということらしい。
体は元気なのに食事は「待て」の状態で、24時間点滴のロープにつながれ、まるで犬みたいな生活を
何日続けるだろう。でも楽しみもある。主治医が若い女医さん(中村先生)で、看護婦さんも皆やさしい。
我が家の鬼嫁のように「叱咤」や「訓示」がない。
でもそんな鬼嫁が毎日やって来るのを楽しみにしている自分がもう一方にいる。

23日は午後からはパソコン教室もあるし治療してもらったら帰るつもりでいたのが状況判断が甘いというか
即入院の診断。あわてました。「夜には数学教室の生徒も来るし2時間ほど病院を脱走して勉強を見ようかな」
と家内に言ったところ「そんなことできるはずがないだーが」と言下に却下されました。
その節には皆さんに大変ご迷惑をおかけしました。改めましてお詫びを申し上げます。

事の起こりは前夜、生徒と勉強中、急に吐き気を催し洗面所でゲロを3回。大量の血が混じっている。
何で?まるで見当がつかない。何か悪いものでも食べたんだろうか?そんな程度でした。
そのうち用を足したくなって2階のトイレへ。階段を上る途中もう一度ゲロしたくなったけど間に合わず
廊下にばら撒いてしまった。そのうち貧血で短時間気を失ったようで(その間の記憶がまったく無い)
頭をどこかにぶつけて4針も縫う羽目に。でもその後、症状も治まったので生徒と勉強を午後9時までしました。
家内には翌日は必ず病院に行くことを約束していつもの様に「一杯飲んで」からちょっと早めに休みました。
病院に行くと早めの受付だったせいか、すぐに順番が来て内科外来で見てもらいましたがこちらが考えていたのと様子が違う。
「病室がどうの」とか「入院」とかなんとか言っているではないか。
そのうち内科で治療中に外科の先生がやって来て「ちょっと痛いかも知れませんよ〜」と言ってホチキスみたいな道具で
カチカチカチとあっという間に縫合。。
「アッ痛ったたたー」と思ったけど、そこは小生も日本男子、口には出さず、「そんな治療なら誰でも出来ーがな」と我慢した。
29日夕食から重湯が食べられるようになったが普段何気なく食べている食事がこんなにおいしいとは、ありがたさを痛感した。
まさに1週間ぶりの食事、「おいしかったぁ」そんな病院の食事の画像をすべて退院するまででお届けします。
入院は身をもてあますと言うか、暇でしょうがない。本を読むくらいしか楽しみも無い。酒は飲めないし。で、つまらないでしょうが
ご笑覧ください。ところで胃カメラなるものをはじめて受けましたが喉から入れるのは「おえッ」の反応が強すぎて死ぬ思いをしました。
2度ほど喉から入れましたがそのつど大変で主治医の女医先生もあきれはててました。そこで3度目には鼻から入れる胃カメラで
診察を受けましたがこちらの方ははるかに楽でした。このことを家内に話すと「鼻から牛乳〜」と笑ってました。
診察中は患者(私)もモニターで胃カメラの画面をライブで見ることが出来ます。でもさすがにその画像を撮るだけの余裕はありません。

私のいる部屋は4人部屋ですが私が入院してから3人が退院されました。私が一番の古株みたいですが胆石で入院した方は
私の後から入院されたけど私より早く退院されていきました。
ところで隣の部屋のよくしゃべるおばあさんのいてその声がよく聞こえてくる。最初のうちはまともな方かなと思っていたんだけど
そのうち「あれっ」ってことが度々あって。先日は決定打が、「看護婦さん、救急車を呼んでください!!」

 
 
ご覧の通り元気ですが、じっとしとけと言われてしぶしぶ。
点滴のロープにつながれた犬みたいに良い子してます。
 
ホチキスみたいな道具でカチカチと縫られました。

左手にバーコードの着いた黄色いタグが付けられ
点滴を交換するとき必ずスキャンしてからします。 

 3/25友達の結婚式で帰省していた京都にいる娘が
来てくれました。
 
3月23日から29日まで24時間これだけで
生かされていました。(ビールバージョン)
 
28日からは点滴が(焼酎バージョン)に変わりました。


AB